余白をマネジメントする

 

今、久々に朝ドラ「半分、青い」を見続けている。
物語の展開などが私のリズムに合っていたからか、楽しく観ている。
 

この朝ドラ、賛否両論激しくいろいろな意見(コメント)があり
それを読んでいく中で、いろいろ思うところがある。
 

賛否両論のどちらの意見もよくわかる。
どちらが正しいかという答えはなく
一瞬一瞬に過度に反応しすぎではないだろうか。
 

実は数年前までの私を見ているようで、少し心がしんどくなることがある。
両側の意見を読みながら、気になったことがある。
 

なぜ、これだけ意見が二極化しているのか。
 

両方の主張がよくわかるから
そして私の内側で矛盾する二つの感情が沸き立っているからか
この問いが気になってしょうがない。
 

反対意見を分けると、大きく二つに分けられる。
一つは、登場人物に共感できない。
もう一つは、脚本に納得できない。
 

 

< 登場人物に共感できない >

 

否定の「共感できない」ではなく、肯定の「共感できる」の意味で
「共感」という言葉は元々使われていたはず。
 

共感できるかできないかでなく
「共感できる」という肯定の意思表示だったはず。
 

SNSの「いいね」ボタンは、その典型的な例。
 

共感できないから、「私はもう観ない」
共感できないから、「私が共感できるように脚本を変えろ」
 

後者の「変えろ」という意見もわかるが、エゴの顕われでしかない。
脚本を自分好みに変えさせると何が起こるのか。
今まで楽しみに観てきた人が今度は逆の立場になって
「私が共感できるように脚本を変えろ」と言うかもしれない。
 

このように思った時、最近
私は“共感できない”から、私が“共感できる”ように直せ」
という意見をよく耳にすることを思い出した。

 

共感の押し売り

 

二項対立から自分の考えを相手に押しつけることは
自分さえよければいいという考え方であり、非常に危険な考え方。
 

今世界で様々な問題が起こっているが
一番大きな問題は、二項対立でしか考えられなくなっていること。
 

否定と否定のぶつかり合い。
愛情のないエゴの押しつけ合い。
 

 

< 脚本に納得できない >

 

想定外の連続や丁寧さにかける描写などに加え
話がちらかり飛び過ぎ、回収されないまま新しい展開が繰り広げられ複雑化していて
今までの朝ドラとは違う構成に対する、不平不満である。
 

“朝ドラ”という先入観(バイアス)や定義化が強い人ほど、強く反発している。
 

現代社会は想定外の連続で
想定外に一つ一つ過剰に反応することでかえって
負の感情が次々に起こり、強いストレスを感じ疲れていく。
 

想定外を単純に楽しめばいいと思う。
 

複雑化している展開も後で冷静に振り返ると、実はつながっている。
クモの巣に絡まり、振り払おうとしてかえって、まとわりつく。
つながりという関係性を観る眼が、今求められている。
 

「想定外を楽しむ」のような、気持ちに余裕がなければ、問題対処に大きく影響する。
 

 

少し視点を変えて、音楽で考えてみたい。
 

同じリズムで変化がない曲調が延々と続くと、どう思うだろうか。
 

退屈で、つまらなく、面白くなく、眠たくなってくる。
リズムに強弱があるから、変化があるから、律動があるから、音楽を楽しめる。
 

想定外を楽しめる人と楽しめない人の違いから
朝ドラの二極化が起こっているのではないかとふと思った。
 

このように考えていた時にふと頭に浮かんだのが

 

空白と余白。

 

似ているようで、大きく違う。
 

元々在ったものがなくて空いている状態が、「空白」
そこには何もなくただ空間がある状態が、「余白」
 

空白があると、想定内(枠)に収めようとする。
余白があると、自分なりに解釈して妄想(想像)を膨らませていく。
 

空白は西洋的な思考で、余白は東洋的な思考。
西洋のガーデニングと日本庭園の違いが、わかりやすいかもしれない。
 

また日本絵画には、「余白がある」という。
「空白がある」とは、決して言わない。
 

 

この違いは何だろうか。
 

空白は、べき論である。
「ある」べき姿が元々あって、それが「ない」状態。
「ない」ことにストレスを感じ、「ある」べき姿に戻そうとする。
 

過去の経験が、現代そして未来に通じることもある。
しかし21世紀になって、過去の経験が活きない時代になっている。
 

例えば、ここ数年の天候。
何度、「想定外」「○○年に一度の」というニュースを聞いただろうか。
 

よく言われているが
想定外のことが起こることを前提にして
想定外のことが起こったことを起点にして
どう対処できるかがこれから大切になってくる。
 

 

そのために何が大切か。
 

ビジネスにおいても、人生においても、心の持ちようが問われていく。
音楽ではないが、息(活動)をしていれば、必ず強弱はある。
 

どちらか一方だけでなく、いい時も悪い時も両方必ずある。
悪い時に何をするのかが、今いろいろなところで問われている。
 

 

空白と余白の言葉を思索している時に、次のことに気づいた。
 

経営の、人生の空間を埋めようと、誰もがもがく。
私もいろいろもがいてきた。
 

空白を探して、ネガティブな感情に襲われるよりも
余白を探し感じることで、楽しくポジティブな気持ちになる方がいい。
 

何よりも余白こそ、隠されていた可能性である。
 

今までのマネジメントは
空白を埋めて「あるべき」姿に戻そうとしてきた。
 

これからのマネジメントは
余白から「なりたい」姿を描き、想像(妄想)していくことだ。