「ない」から「ある」へ:注意を向けるきっかけについて

 

今、パラリンピックが開催されている。
 

テレビなどでは大きく取り上げられないので、
活躍する選手をニュースで読みながら、思い出したことがある。
 

「ない」ものから「ある」ものへと注意(意識)を向けるきっかけになった、
去年6月に観たある映画を通して、私の中で変化が起こった。
 

「幸せを日々の中に。」という映画。
 

鹿児島県にある知的障がい者施設「しょうぶ学園」で取り組んできた
音楽活動のドキュメンタリー映画である。
 

上映される前から楽しみにしていた。
しかし映画を観てすぐに、頭に問いが顕れた。
 

「彼ら(障がい者の方々)は、私たち(健常者)をどうみているのか」

 

強烈なメッセージとして、目の前に顕れた。
なぜ、顕れたのかはわからない。
 

私たち(健常者)の目線で語られているだけで、
恐らく昔から気になっていたことが
映画を通して一気に溢れ出た感じ。
 

この問いが顕れてからは、その答えを映画の中に求めようとした。
そして答えが顕れた。
 

映画の中で園長の福森さんも同じように疑問を持たれ、
実際に障がい者の人たちに聴かれた答え。
 

「私たち(障がい者)と何も変わらない」

 

セリフは全部覚えていない。
ただ次のようなニアンスだった。
「目もある、鼻も口もある。手も足もある。私たちと何も変わらない」
 

障がい者と聞いて、どのようなイメージを思い浮かべるだろうか。
絵で表そうとすると、どんな絵を描くだろうか。
 

視覚障害、聴覚障害、身体障害などは、
健常者と比べ身体などの一部の機能などが「ない」状態を指している。
 

これは何も障がいだけのことだけでない。
私たちは、「ない」ものに目を向けている。
「お金がない」「仕事がない」「家族がいない」「居場所がない」・・・
 

自分に「ない」ものがあると、不満などを覚える。
「ある」人と比べることで、不満が膨らんでいく。
 

「ある」ものへ、意識を向けない。
あって当然のものとして、意識を向けない。
 

しかし障がい者の人たちは、「ない」ものを見ていない。
今見えている「ある」ものだけを見ている。
 

私たちは意識していないだけで、「ない」ものをねだる。
「ない」からねだる、「ない」から欲する。
 

今「ある」ものに目を向けることで、
豊かさや幸せを感じることができる。
 

豊かさや幸せは、人から与えられるものではない。
豊かさや幸せは、すでに持っている。
 

当たり前だから、気づかない。
あまりにも身近に在るから、気づかない。
 

豊かさや幸せの大きさを比べてしまう。
より大きなものを求めてしまう。
 

求めすぎるから、在るものがみえなくなく。
 

そのことに気づいた瞬間、何とも言えない想いがした。
一瞬恥ずかしくなった。
それ以上に、このことに気づけて、嬉しくなり幸せな気持ちになった。
 

「ある」ことに、意識を向けるようになった。
「ある」ことに、感謝が素直にできるようになった。
「ある」ことに気づくと、楽しく嬉しくなる。
 

この時は「有る」だったが、その年の秋から「在る」に変わった。
「在る」に変わった話はまた書こう。