社会貢献という言葉

 

昨日は、「3.11」。
毎年いろいろ考える日ではある。
 

「社会貢献」

 

以前から違和感があった。
社会貢献という音からくる響きに違和感があった。
 

“貢献”

 

言葉に囚われてはいけないと思いつつ、言葉に拘っているので、
気を遣って使うようにしている。
 

投資に、社会的責任投資(SRI投資)がある。
“責任”という言葉にも、違和感がある。
 

貢献や責任という言葉から、どのようなイメージが浮かぶだろうか。
 

私は、社会のために何かをすることが義務や責任のように、感じてしまう。
 

“貢ぐ、献じる”

 

どちらも上の人に向かって遣う言葉のイメージがある。
どっちが上とか下ではないとは思う。
 

そんな意図があって使っていないのはわかっている。
しかし言葉を大切にしたいので、つい気になってしまう。
 

社会貢献をしない会社は、悪者のように扱われる。
利益を内部留保している会社も、同じように扱われる。
 

あくまで善意での想いからの行動であり活動であるにも関わらず、
“しなければ”という圧力をすごく感じる。
 

そしてできないことに対して、自分を責めてしまう。
何も責めることはないのに、責めて苦しまれる。
それを感じると、心が痛くなる。
 

東北には震災後何度も行ったが、まだ自分を責めている人が多い。
震災後止まったままで何もできていない自分を責めている人が多い。
また震災後何もしていない人も、自分を責めている。
 

善意はあくまで善意であり、
しなくても決して悪者のように扱ってはいけないと思う。
 

これは、子どもに勉強しなさいと言うのと同じではないだろうか。
 

子どもは、誰かの義務のために、勉強をしていない。
勉強すれば、「よく頑張ったね」と褒めればいい。
褒められると嬉しくなって、また頑張ろうと思う。
 

義務や責任という表現にすると、「して当たり前」と思ってしまう。
当たり前だと思うと、感謝をしなくなる。
 

社会にいい活動をしている会社に、「ありがとう」と感謝を伝える社会がいい。
社会をよくする活動をしている会社を、応援し支援できるような社会がいい。
そうすれば、きっと社会はよくなっていくから。
 

ネガティブキャンペーンも必要だとは思うが、
ポジティブキャンペーンのような仕組みがあってもいいと思う。