私は扉でありたい

 

私は、扉でありたい。

私は、希望そして未来が“在る”ことを伝える扉でありたい。

 

扉とはなにか

 

「私たちは、どのくらいのことを知っているのだろうか。」

 

知っていることはごく一部、知らないことの方が圧倒的に多くある。
知らないことに出会うと、知らないことを受け容れるか拒絶するか、
どちらかの態度をとってしまう。
そして受け容れるよりも、拒絶をよくしてしまう。
 

次のような言葉を言ったことはないだろうか。
「その話、聞いていない(=知らない)」
 

「私たちが知っていることは、正しい情報なのだろうか。」

 

知っていることがすべて正しいとは言えない。
正しいと思い込んでいることが多くある。
 

信じていることに対して誤りなどを指摘されるとつい、
「あなたが間違っている。私の方が正しい。」
と扉を閉ざし会話することを拒絶したことはないだろうか。
 

扉のこちら側には、知っている情報、正しいと思い込んでいる情報がある。
扉の向こう側には、知らない情報、本当に正しい情報がある。
扉の向こう側にいくと、どのようなことが待っているのだろうか。
 

「知らないことを “知る” 」
「思い込みなどに “気づく” 」そして
「新しいことを “発見する” 」など
新しい出会いが扉の先に待っている。
 

こちら側と向こう側がつながると何が起こるのだろうか。
 

意識に変化が起こり、行動を起こし、社会や未来を変えていく。
知ることそして伝わることで、変化が起きていく。
波紋が拡がるように、変化が起きていく。
 

  • 扉とは、変化を起こすきっかけになるモノ
  • 私がありたい扉とは、人や社会の意識に変化を促す存在
  • 扉の向こう側で何かに出会うと同時に、存在を忘れられたい扉(私)

 

扉になりたい

 

「私は、本当は、何を、したかったのだろうか。」

 

2016年に突然、この答えが私の目の前に顕れた。
何かに思い悩んでいた訳ではなかった。
ただ気づいていなかっただけ。
心の奥には “秘めた想い” が在った、隠れていた。
 

今までの人生の歩んできた道に意識を向けだすと、秘めた想いが所々に顕れてくる。
なぜ今までこの秘めた想いに気づかなかったのだろうか。
 

それは、秘めた想いが扉の向こう側にあったから。
カギがかかり、扉は閉ざされていたから。
 

扉の向こう側に何かがあることは、何となく感じていた。
しかしカギがなく扉を開けられず、扉の向こう側に行けなかった。
だから秘めた想いに気づかなかった、いや気づけなかった。
 

扉のカギが突然目の前に現れた。
扉の向こう側にある秘めた想いにふれ、問いの答えが顕れた。
扉のカギ、それはあるアーティストの言葉だった。
 

「アートが社会にできることは何だと思いますか。」
「 “安心安全な場” をつくることだと思います。」
 

安心安全、何十回も人から聞き、何十回も人に話してきた言葉。
日常にあった言葉だったにも関わらず、この言葉を聴いた瞬間に扉が開き、
扉の向こう側にあった秘めた想いにふれ、心が揺さぶられた。
 

言葉が心にふれて、初めて気づいた。
『安心安全な場をつくる』、これが本当にしたかったことだったと。
 

言葉にふれてから秘めた想いに気づくまでの約1時間、
京都の鴨川沿いをひたすら歩いていた。
歩いている間、いろいろな言葉が頭の中で沸き起こり、駆け巡った。
 

言葉の渦が収まり、中心にあった想いに気づいた瞬間、
心が優しく、温かく、和かく、穏やかに、そして嬉しくなったことを今でも覚えている。
待ち続けていたものにやっと出逢えた、そんな感じだった。
思わず大きく息を吐いた、言葉がもれた、いや言葉でない何かがあふれ出た。
 

その後、どのようにすれば安心安全な場をつくれるかを考え、仕事の内容を一部変えた。
一年ほど経ったある時、今度はある疑問が頭をよぎった。
 

「場でなくてもいいのではないだろうか。」

 

場という言葉が拘りとなり、いつしか囚われていたことに気づいた。
場という言葉から離れ、私が安心を感じた状況を想いかえしてみた。
 

安心を感じたのは、言葉に触れたとき。
ホッとよりもハッとしたときに、強く安心を感じた。
 

呼び覚まされた何かに気づき、何かを発見し、
私の内側でいろいろな変化が起きていった。
 

この状況に心当たりがあった。
私が本当にしたかったことに出会った時と同じだった。
場ではなく “扉” が、そこには在った。
場をつくるのではなく、自分が扉になればいいことに気づいた。
 

「人に、社会に、未来に変化を促せる、扉になりたい。」

 

扉でありたい

 

始めは、扉になりたいと思った。
どうすれば扉になれるのか考えた。
 

考えていく途中で気づいた、すでに私は “扉であった” ことに。
なりたいではなく、すでになっていたことに気づいた。
 

私を通って、変わっていく人たちが何人もいた。
変わった本人から、周りで変化をみていた人から、
「(私と)出会って、(あの人は)変わった」と何度か言われ、
なぜかすごく嫌な気持ちだった。
 

それは、変わったことがいいことか悪いことかがわからなかったから。
なにか責任を押しつけられている気がした、ネガティブに捉えていた。
 

受身でなく受け容れることで、意識が変わった。
意識していなかっただけで、昔から私はなりたいと思っていた扉だった。
 

「これからは、意識して扉であり続けよう。」

「扉であることを意識して、変化を促そう。」