コトバを刻む、3つのプロセス

 

掘り起こす

 

「みえていなかった本質などの存在に “気づく” 。」

 

「書く」とは、何か新しいものを創りだすことではない。
 

「書く」ことは、
見えていない/見えにくい/隠れている/埋もれている、
なにかを掘り起こすことから始まる。
 

丁寧に丹念に、いろいろな角度から注意を向けて、掘り起こしていく。
この作業は、歴史の探究に似ている。
 

私は幼い頃から歴史が好きだ。
最近まで完全に忘れていたが、小学生時代の夢は、歴史学者になること。
なぜ歴史が好きなのか、理由は二つある。
 

一つは、歴史は謎深く、謎多いこと。
 

起こった出来事すべてが史実になっている訳ではなく歴史の氷山の一角に過ぎず、
多くは史実の中に隠されている。
一般的な史実は勝者が記したものであり、敗者の声は在るのにそこにはない。
 

隠された事実を知ろう(探ろう)と想像力を働かすことで、
“みえていない本質を見抜く力” が研ぎ澄まされた。
 

歴史を探究することで感性は磨かれ、
探究心や推察力に解釈する力(読解力)が人一倍強くなった。
これらの力(スキル)は、洞察力・直感力・直観力・翻訳力を高め、
仕事に大いに活かしてきた。
 

もう一つは、歴史には物語があること。
 

登場する人物に、土地に、時代に、それぞれの物語がある。
また時代を越える物語もある。
 

物語に耳を傾け、ひも解き、一つの物語に綴り直す。
パッチワークするように綴り直すことで、新しい発見が生まれる。
その発見に、心躍らせ、心惹かれた。
私が物語に拘るのは、歴史好きが大きく影響している。
 

みえていない本質は気づいていなかっただけで、元々在った核のような存在。
掘り起こすとは、みえていなかった本質などの存在に気づくことである。
 

浮き上がらせる

 

「元々在った価値(意味・意義)を “発見する” 。」

 

「書く」とは、何か新しいものを創りだすことではない。
記録や事実などを書き記すことでもない。
 

「書く」ことで、
気づいていなかった/見えていなかった本質に在る価値(以下、新しい価値)を
浮き上がらせることに、大きな特長がある。
 

新しい価値は、同じ眼でみていては決してみえてこない。
視点をずらし、視野を拡げ、視座を変えてみることで、新しい価値がみえてくる。
外から視て、内から観ることで、新しい価値が浮き上がる。
 

今見えている、見ている世界がすべてではない。
一部に過ぎない。
しかし多くの人たちは目の前の世界がすべてだと思い込み、
目の前の世界だけを信じてしまう。
それは、頭ではわかっていても、見えている世界の外に意識を向けることは難しいから。
 

地方を訪れそこに住む人と話すとよく耳にする、「ここには何もない」。
初めて訪れた私の目には、ないものは見えない。
そこに在るものしか見えていない。
私に見えた在るものを話すと、初めてそこに在った価値に気づかれる。
 

私には価値を浮き上がらせる変わった眼が二つある。
 

一つは、外から視る眼。
 

視力が弱い、
代わりに嗅覚・聴覚・直感などが強く、見えているものの外により意識を向けている。
 

自我意識がない、
代わりに客観的に複数の眼で見えているものの外から視ようとする。
 

見えているものの外に意識を向け、外から内を視ることができる。
 

もう一つは、内から観る眼。
 

気遣い・心遣いができるとよく言われる。
相手の立場になって「こうだったら嬉しいだろう」と想像し、
「こうだったら」をただしているだけに過ぎない。
 

これは相手の立場になるより、同化すると言ってもいい。
見えている相手に同化して、内から観ることができる。
 

ないに外から内から光をあてることで、在るものが照らされる。
照らされることで、元々在った価値(意味・意義)を発見することができる。
 

表現する

 

「自分の言葉で “認識できる(みえる)” 。」

 

「書く」ことが目的ではない、書くことは手段の一つ。
「書く」ことは、行動に移してもらうための一つの方法である。
 

私は個人的に、「どのようにすれば気づきを行動に移すことができるか」を探究している。
 

答えは安心できれば。
そして行動を妨げるのは不安。
 

社会や未来の安心を伝えることで、不安を和らげることはできる。
不安を和らげ安心を感じられる文章が、書くことに求められる。
 

どのような言葉に、どのような文章にすればいいのかを探究し、わかったことが二つある。
 

一つは、みせ方。
目に見えない/見えていないものがみえるようにみせること。
 

言葉と聞くと文字を浮かべるが、言葉は他にいろいろある。
数字も記号も言葉である。
行間にも言葉はあり、言葉に顕しきれない言葉もある。
 

私は、数字をみえるようにみせられる。
数学を専攻し、経理の仕事を15年してきた。
入社当時はシステムエンジニアだったが、数字にふれたくて経理に異動を申し出た。
 

私にとって数字は非日常ではなく日常にある言葉。
文字を語るように、数字を語ることができる。
また数学の技術(因数分解や置換法など)を活かし、文章をわかりやすくみせられる。
 

文章のつくり方を研究し、わかったことが二つある。
一つは伝えたから伝わるのではない、伝わるように伝えること。
もう一つは、頭でわかると心でわかるは違い、両方必要なこと。
 

理性(左脳)と感性(右脳)を意識して文章を設計する。
そして信頼と共感を得られるように、文章を“デザイン”する。
 

 

もう一つは、問いかけ。
人が行動するためには、自分ゴトにできるかが重要になってくる。
 

自分ゴトになるのは、自分の言葉で話すことができたとき。
自分の言葉になるのは、言葉の意味を認識できたとき。
言葉の意味を認識できるのは、問いかけの答えを探し当てたとき。
 

知ってほしい、伝えたいことを書くだけでなく、
文章に顕さない想いを“問いかけ”に込める。
 

行動に移すためには、知識(情報)を得ることよりも、
自分の言葉で認識できる(みえる)ようにみせることが重要になる。